元阪急ブレーブス・快速左腕、やすらかに・・・。

昭和30〜40年代の阪急の黄金期を支えた梶本陸夫氏。9/23日71歳で心不全で死去した。来年は野球殿堂入り候補であった。昭和29年に当時、巨人・中日の勧誘を蹴り、親戚筋がいた阪急に入団。1年目の開幕戦に登板し初勝利デビューを飾り、その年20勝をマーク。米田哲也氏(350勝)と左右のエースとして大活躍。実働20年で通算254勝255敗とたった1つだけ負けが上まってしまったが、867試合登板は歴代3位。無冠のエースとして知られたとは言え32年の南海戦には9連続奪三振記録を持つなど野球ファンの中に記憶のあった投手。個人的には、54〜55年に上田利治(阪急・日ハム監督)氏からバトンを受け継いで阪急の監督就任したのを覚えているが2位と5位で監督としては大成出来なかったのを記憶しているが・・・。
ジェントルマンだったらしく、投手コーチとして阪急・現オリックス・中日等の指導には定評があったとの事。阪急と言う球団があった事、また一人名球会入りまでした投手が居なくなる寂しさや敬意を評して今回は書かせてもらった・・・梶本氏、プロ野球の歴史をありがとうございました・・・ご冥福をお祈り致します。合掌