沖縄の名将よ!いつまでも心に・・・ありがとう!

久し振りにyasunomeを再開!その第一弾として高校野球ファンに驚きの悲報!!沖縄野球を全国レベルに引き上げた第一人者であり大功労者の沖縄水産高校の名将・裁弘義監督が心臓病からくる心不全・肺炎併発にて65歳と言うまだまだ若い年齢にてこの世を去ってしまった・・・! 数々の名勝負を甲子園で采配をふるい名将の名を全国に知らしめとどろかしたお方だ!現ソフトバンクホークス新垣渚投手で出場した98年の春夏を最後に甲子園から遠ざかり地元のみならず全国の高校野球ファンの間で復活を期待されていただけに残念とビックリにて言葉が出ない・・・。
1975年春に豊見城高校で初めて甲子園の土を部長として踏みベスト8まで進み、その時監督には入学遅れで年齢制限の関係でメンバーもれの教え子を監督登録させ甲子園に連れて行くなど・・とてもなせるワザでなく泣けてくる演出!
だが、翌年の1976年からは監督として6季連続の甲子園出場!夏だけでも3年連続のベスト8・・・と、当時としては優勝より難しい事をやってのけた方だ!更に記憶が17、18年前とは思えないくらい鮮明の記憶が残る2年連続の夏の選手権大会での準優勝だ!!優勝に匹敵する価値ある準Vだ! 準V2年目の試合後の裁監督のコメントを今でも覚えている・・・「選手をほめてあげてください・・・この決勝戦で何点取ったんですか!?6、7点ですか?」憧れの沖縄県人悲願の全国制覇はならずながら、その心暖まるコメントが全国制覇していた・・・泣けてくる・・・特待生制度にて大問題の中、半面この世を去る事になるとは・・・まちがいなく今の指導者が忘れているものをお持ちの方だった・・・。yasunomeは忘れません・ありがとう・・・やすらかに・・・合掌。