想い出の高校野球 春の選抜大会編(vol.1)・・・!

僕が中2になる春、昭和54年の第51回大会。
その春は、近畿勢がやたら強くベスト4にすべて残った。
その年、春夏連覇の偉業を成し遂げた・「高校野球はバントが基本です」の有名な尾藤監督率いる箕島、牛島(現横浜監督)・ドカベン香川(元南海・ダイエーホークス、現野球評論家、福岡にクラブチーム設立者)バッテリーの浪華商、前年夏の選手権優勝校で、逆転のPL学園、そして今回話をしたい東洋大姫路だ!
投手が印象に残っていて、160cmちょい?位の身長にて、チビッコ萩原とニックネームが話題を呼んだ!
打たせてとるタイプだったと思うが、左腕からの球はスピードこそなかったがキレが良く、カーブを降り混ぜコーナーを突く度胸のあるピッチングが懐かしく思い出す・・・。
投球フォームも右手グローブが円を描く様にクルリと回わし小さな体全体バネにして投げていた。
更に当時エピソードがあり、前年秋季大会前にエースが転校になり、この萩原がいきなり主戦で投げ始め軌道にのり、あれよあれよと選抜キップを手にしたらしい。(・_・)
1.2回戦と強豪、古豪校を次々と撃破して準々決勝、その夏の選手権で準優勝した徳島の池田高校戦は、雨の中の終盤相手の猛攻撃に遭いながらの、大シーソーゲームをくい縛り投げ、浪商のドカベン香川に終盤逆転ホームランを打たれるまで好投した準決勝など......。
今だに記憶あるのは、今の高校野球より確かにドラマチックな気がしたのは、自分だけだったろうか?。  
当時、小さな小さな体で投げ抜きベスト4まで残り、勇気ずけられた人も少なくなかったハズだ....!
惜しくも夏の予選、兵庫県大会準々決勝にて伏兵の市尼崎に(0-1)敗れてしまい....(涙、涙、涙)の巻き.....。  
今何をしてる人か、わからないが?最後に、もう1度夏の甲子園に戻って来てほしい選手の1人だったのを忘れはしない.....!